今日の一言


健全な肉体には不健全な精神が宿る。

健康な人はほぼ間違いなく、不健全である。
逆に言うと、そうしていられる。

不謹慎なことを言えたり、笑ったりできるのはその証拠だ。
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今日の一言



ほんとうに楽しいことは他人と共有できないもこそある。他人と共有できることは、世間的に楽しいことだけだです

怖いということ


子供の時は誰でも幽霊が怖いけど、大人になって怖がる人は少ない。
子供の時食べれなかったものが今は食べれるようになっている。

それは成長ではなく、どっちかっていうと、「鈍化」なんだろうなと思うようになった。

齢を取るといろんな感覚が鈍っていろんなことがどうでもよくなる

きっとそうなんだろう。

だから無意識に齢を重ねるのは寂しいことだ、ただそれを自覚しながら齢を取ることを、味わいがあるという

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健康とは比較級の概念である

田村隆一の本を読んでいる。

『おじいちゃんにもセックスを』のキャッチコピーが有名な、詩人である。今はもういない。

園子温の映画で、恋の罪というのがあってその中でこの人の詩が引用される。言葉なんて覚えるんじゃなかった、で始まる帰途というその詩はあまりにも有名である。

しかし、今一度、彼の詩や発言を読んでみて、思うところがたくさんあった

健康とは比較級である。私たちは誰かと比べて健康と言うものを知っている。だから医学が進歩すればするほど、病気の人が増える。
顔色が悪いとか、体重が重いとか、それは全部どこかの他人との比較によるものだ。数字で比べる場合もいっよですよね。平均とか言っても、それは他者の集合でしょ。

で、そうすると安心するのだと田村さんは言う。有名大学、結婚相手、勤め先、みんな同じだ。
そしてその呪縛から逃れることはできないのだけど、それだけでは、空しいじゃないかと言うのだ。

垂直的価値と水平的価値、この2つを持つことが重要。
水平的価値とはすなわち、比較級の世界、。

に対s手、垂直的価値とは絶対勝ち、自分だけのもの。他者と共有しないでいいもの。
縦の線は、生と死を結んでいる。人は皆、生まれて死ぬという当たり前の事実を謳っている

自分を構成するものは、ほとんど自分発信ではない

前に読んだ本で、内田百閒のエピソードを知った。

うろ覚えなのだが、「人間は5歳までに人格を確立する。だから、私がこうなったのは私のせいではない」
みたいなことが書かれていた。

内田百閒は、頑固で偏屈、わがままでだらしない。そんな印象も持たれていたようで、それでも自分を通すというか、牛のようにずうずうしく生きていくんだ、というような力強さがある。

で、上記のようなことを言っていた。

彼なりのユーモアがあったことは間違いないが、この言葉をは真理ではないかと思う。

私がこうなったのは、私にもわからない。
私が知ることのできない、意識することのできない、おびただしいほどの要素が影響している。
だから、自分を過剰評価することもないし、卑下することもない。


ほとんど無意識なのだから、ということ。

逆にいえば、それこそが奇跡であり、偶然の産物なのである。
それが、人生の美しい保障の一つだと思う。


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はし

Author:はし
さいたま在住の22歳、男です。
本の感想や気になる社会テーマについて、書きます。
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写真は、江口寿史の作品です。こういうコにあこがれちゃいます笑

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