貧乏人の子だくさんは、ほんとうなのか?

養老孟司『あなたの脳には癖がある』を読んでいたら、貧乏人の子沢山には、ある一定の論理があるとの記述がありました。
まず、貧乏人は生き延びる確率が低いため、本能的に子供を作ろうとする。これは、納得。
次の理由がなかなか面白い。人は、食欲や性欲とは別の社会的欲求がある。貧乏人は、社会的立場が低いから権力欲を満たすことができないため、子供を作ることでこれを満たそうとするというもの。

ところが、歴史人口学では、貧乏人の子だくさんは否定されているらしく、どっちなのだろう?と疑問は残ったままです。
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備忘録 養老孟司『ぼちぼち結論』

本書、『抽象的人間』の中で、筆者は現実について語っている。

現実というものが、長い間わからなかった。だから自分で勝手に定義することにした。『現実とは、その人の行動に影響を与えるもの』である。それ以外にない。私が百人の前で演説しているとき、百人にはそれぞれの養老孟司がうつっている。見る角度は、全員異なっているからだ。それなら、テレビカメラはどの角度からとらえた時に『客観的』な映像となるのか?
こんなことを言うと、すぐに屁理屈だといわれる。そんなことは些細な違いに過ぎないじゃないか、と。それは果たして些細なことなのだろうか?それを些細なこととみなすことで、現代社会は進歩してきた。
一人一人の世界が感覚的に異なるからこそ、個人や個性の意味が生じる。それでなきゃあ、個人なんかいらない。それを些細なことと決めつけるから若者が人生の意味を見つけられないのである。これと言ってさしたる才能もない私が生きてる意味なんかあるのか・・だから今度は個性、個性と逆にいう。…

私はこの文章を読んだときに、大分救われた。まさに、私なんかが生きている意味はあるのか…と思うことが多かったからだ。
一人一人の世界が感覚的に異なるからこそ、個人や個性の意味が生じる。それでなきゃあ、個人なんかいらない。

ここで考える。感覚的に異なる世界を簡単に言葉にすることはできないだろうな、と。また、それは言葉にできないことなのかもしれない。
私たちの生活は言葉であふれ、情報はすぐに「共有」できる。facebookしかり、twitterしかり、アマゾンのレビューもそうだ。
でも、言葉にできないものがある、ということが個人の生きる意味の大きな部分を占めるんじゃないかと気づかせてくれる。「情報」「共有」の時代に生きる私たちは、時々このことを思い出したほうがいいなと思うのである。

有川浩『県庁おもてなし課』を読む

映画化もされ、最近注目されている本作品。地域活性化に関心のある自分にとっては、タイムリーな話題でもあるため、大変楽しく読了。
主人公を語る際に、「育ちがいい」という言葉が出てくる。よく言えば、やさしい。悪く言えば、ゆるい。そんな感じ。その洞察が妙に自分と重なって面白かった。
自治体の歯がゆさや地方の現状などがわかりやすく身についてしまうので一石二鳥である。

以下、気になった個所を列挙する。

・観光振興には、若い女性の意見を聞く。観光地での消費の7割は女性らしい。女性は旅行が好きで、ロケーション、グルメ、トイレなどにこだわる。男よりもチェック項目が多い。だから、女性をクリアした時点で男はもれなくついてくるのだ。彼氏とか、旦那もついてくる。

・旅行には、非日常を求める。地方だからこそ食べれるものやできることを前面に押し出す。そして、客の中でストーリーになるのがいい。馬路村の例ならば、辺鄙なところにわざわざ来て(これがむしろ大事)、方言丸出しの看板があったり、この村でしか見ないようなゆず料理を食べたり…と後で思い出せるような旅行を提供することが大切。物語を見出して発表する力がかなり重要だということ。それは、土地の歴史や文化を知ることに他ならない。

観光地の偏差値はトイレの偏差値。道の駅は、車社会における画期的な発明。それまでは、一般道でトイレというと、コンビニくらいしかなかったし、物産なども気軽に買うことはできなかった。

キャッチコピーは大切。本でもキャッチコピーのいい本は売れる。売り出す際のキャッチコピーは重要である。「高速もない。地下鉄もない。ビルもない。でも、…がある。」みたいな

地方人には、地元を悪く言う癖がある。うちの地元はけっこう面白いじゃないか、その意識の共有が何よりも大切。そのテコ入れが一番難しい。







大宮鉄道博物館&『船を編む』を観る

行ってきました。大宮鉄道博物館。
大宮といえば、このてっぱくこと鉄道博物館が有名です。

広大な敷地にたくさんの電車とその歴史が説明されていて、文化施設としてはかなり良くできていました。

右は、イギリスから輸入した蒸気機関車の写真ですが、こうした昔の車両が数多く展示されています。

日本で1番最初に開通した鉄道は、新橋(東京)~横浜間で明治の初め、今から150年近く前のことなんですね。

家族連れが多く、子供がはしゃいでいました。でもなんで、子供って(特に男の子)鉄道があんなに好きなんでしょうね?


次に、映画館で『船を編む』を観ました。
辞書作りにかける人々の思いを描いた本作。辞書を作るという地味なテーマだけに人を引き付けるのは至難の業かと思うのですが、そこはプロの技、すっかり魅了されてしまいました。
辞書作りって15年くらいかかるんですね、皆さん知ってました?
本当に長い航海に出るようなもの。タイトルの船を編むの意味が分かります。
用例採集といって、日常で見聞きした言葉を紙にメモしていく作業があるんですが、こんな面倒で地味なことを続けていった先に1冊の辞書が出来上がっているんだぁと思うと、感慨深いものがありました。
皆さん、ぜひ劇場へ

太宰治のお墓に行ってきました。

太宰治が眠る禅林寺というお寺(東京都三鷹市)
前から行ってみたかったというと変かな(笑)
太宰治のお墓がある三鷹市の禅林寺に行ってきました。

さすがに、お墓を写真に収めるのは気が引けたため、お寺の写真です。

平日なので、お寺はひっそりとしていましたが、私のほかにもう一人若い男性がお墓詣りに来ていました。

太宰は、39歳でお亡くなりになりましたが、9年間(疎開していた時期が2年くらいあるから実質7年間)を三鷹で過ごし、走れメロスや富嶽百景などの作品を三鷹で残したそうです。

太宰が作家として安定した時期を三鷹で過ごしていたのです。昔は、ネットなんてなかったから文豪と呼ばれる人は割と近くに住み、お互いの家で文学談義に花を咲かせていたそうです。太宰の師匠の井伏鱒二も中央線沿いで暮らしていたそうです。太宰が、三鷹を選んだ理由が都心からほどほどに離れていて編集者の最速から逃れられるから、というのがなんとも「らしい」なと感じます。

太宰は愛人と心中をして最期を迎えるわけですが、実際、玉川を見てみると、こんな川で人が死ねるか?と思います。。当時は、玉川の水量が今の3倍ほどあり、流れも速かったらしいです。その結果、実は川に入水したのは、6月13日なのですが、発見されたのが6月19日になってしまったと。しかし、皮肉にも太宰の誕生日も6月19日であったため、この日を桜桃忌と名付けたそうです。

もともとこの禅林寺には森鴎外のお墓があり(本名森林太郎として)、太宰は折鴎外の近くで自分も眠りたいと考えていたそうです。
しかし、愛人との心中という死に方、また玉川上水(下水ではないから生活水なんですね)に飛び込んだこともあって当時の三鷹市民は太宰のお墓を作ることに反対だったそうです。しかし、奥さんが頭を下げて(なんていい奥さんなのだろう)禅林寺にお墓を設けることができたそうです。

太宰治のお墓には、本名の津軽修治ではなく、ペンネームの太宰治の名前が刻まれています。
太宰は道化などと自虐していましたが、自虐ネタといったら失礼かな、そういう形で人を喜ばせたり、人に注目されるのがとにかく好きだったのではないかと思うのです。だから、お墓にも太宰治の名を遺したのではないでしょうか?俺は、大衆にとっては太宰治という作家なのだ、と。

太宰治文芸サロンが、駅前にあり、無料でいろんなことを教えてくれました。今書いたこともほぼそのまま受け売りです(笑)
貴重な体験をした1日でした。




























この本は面白い『地域を変えるデザイン』

著者は、issue+design projectという団体。代表者の山崎亮さんは、けっこう有名人だ。

冒頭に、前の東大総長の『日本は課題先進国である』との言葉が引用され、少子高齢化や晩婚未婚、空き家、エネルギーの問題などが図やグラフを多用し、説明されている。

私が興味を持ったのは、空き家の問題である。なんと、今全国平均で7軒に1軒は空き家なそうな。13%もの空き家があるのである!!

この中で大きな割合を占めているのが、シャッター商店街。かつての中心市街地も自動車の普及による郊外化の影響で、廃れ、交通弱者と呼ばれる人たちが増え、コミュニティは失われている。
自動車トリップ距離と市街地人口密度の関係を示したグラフがある。

心理学をかじる『情動2要因理論』

昨日、ホンマでっかテレビを見ていたら、心理学の植木先生が面白いことを言っていた。
『行動が感情を作る』と。
それを心理学では情動2要因理論と呼ぶそうだ。

ネットで調べてみると、シャクターの情動二要因理論として、以下の説明がある。
情動の形成というものを二つの要因、すなわち身体反応とその原因を類推する事によって説明しようとしたもので、この理論において重要なのは、身体反応そのものにあるわけではなく、その原因を身体反応から類推する事によって情動が決定されるという点にあります。

例えば、恋愛においてよく言われるつり橋効果。つり橋を渡っているとき、怖いからドキドキして汗ばんだり、脈が上がる。それを隣にいる人にドキドキしていると体が勝手に解釈してしまうというのだ。これも情動2要因理論で説明できるという。で、これホントに実験してたんだね(笑)知らなかった。

この理論では、同じ体験をしても異なる感情が生まれることを説明する理論なんですね。

でも、植木先生の文脈ならば、ジェームス・ランゲ説のほうが適当だと思った。これは、泣くから悲しい、笑うから楽しいのようにまず行動があって、それに伴って感情がついてくるといいうもの。
ふつうは逆だと思われているが、鏡の前で笑うと元気が出てくるなどは、この典型なのだろう。

『俺俺』を読む

最近映画化されるというので、書店の目立つところに置かれていた。

読み終わった感想は、これは怖い小説だということである。
『俺俺』が発表されたのは2010年のこと。今から3年ほど前。だが、小説の内容は今を予言しているかのように見える。

人は、演じることで役割を獲得する。しかし、演じることは疲れることだ。すべての人が俺だったらいいな…そんな気持ちを持ってしまう。それが一気に固まると全体主義になる。
その結論を描いているお話。今の日本も橋下さんのような独裁者を求める風潮がある。


人は不安になる。演じるている私が本当の自己なのか、演じる外部にある私が本当の自己なのか?と。

今の社会はこの問い自体を解体してしまう。なぜなら、現代社会は演じることの基盤を失わせる社会だからである。現代社会は、個に代替可能性を突きつける。派遣労働者は、そこの派遣さんだ。

また、社会の流動性が高くなり、これまで自明だった家族や地域社会といった共同体が解体しつつある。

演じることの基盤さえ失っている人も多いのが現状なのだ。

本当の自分を認めてほしい、でも演じたくない。これはだれもが持つ気持ち。

『すべての人が同じになってしまったら自分の意味がなくなる』との言葉が印象に残った。
つまり、人は絶対的に孤独だということ。そこを認めることからすべてがスタートする。その中で、共有できることを少しずつもっていけばいい。そう教えてくれる小説だ。


昨日水戸に行ってきた!

高校時代の友達に会いに水戸へ!
2年ぶりくらいの再会で、楽しかった

足利から電車で2時間半。けっこう遠い(笑)交通の便は悪いのだ。

偕楽園、茨城大学に行ってきた。
車があればもっと楽しめたのだろうけど、移動手段は徒歩。


初めての街だったので、楽しかったのですが…
一度行けばもういいかな…という感じでした


最近の出来事

福沢諭吉「学問のすすめ」を読む。
『個』の充実と『公』の充実が、実はリンクしているという指摘が面白い。

5.13NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』は面白かった。

面白いというか、番組の醍醐味である人々のプロ感を肌で感じるような内容であった。主人公は、リハビリ医療のスペシャリストと呼ばれる人物。脳卒中に倒れた患者を救う。

そこまでカメラが写すか、それくらいの切迫感があった。あれをみると、自分の親を考えた。主人公も、自らの父親が病に倒れてから自らの仕事の意義を見つめなおしたと答えていた。仕事とは、親から始まり、地域社会、そして日本の社会そのものに還元していくことそのものだと思った。


5.14NHK twitternews で興味深いニュースがあった。

皇居の周りの森林、都会のオアシスをいかにして守るかがテーマ。山崎さんという地域社会をプロデュースする方の発言で、「市民参加」は浮き足立ったスローガンではなく、かなり必要に迫られた解決策であるとあった。

行政に丸投げできていた時代は終わったのだと。財政が縮小する中で、住民にやってもらうことが必要だとの発言は、特に地方で生かされるべきものだと思った。


マン・フレッド・マン『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』を聴く。

水道橋博士著『藝人春秋』の甲本ヒロトの章のなかで、当時中学生だった甲本ヒロトがある曲を聴いて、生きていくことがリアルに感じられた、俺にはロックしかない、と思ったと語る文章がある。

それが何を隠そう、マン・フレッド・マン『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』である。

それを今回、初めて聴いた。また、一つロックの世界を知ることができた。
俺たちの曲を聴いて、もっとロックンロールという世界を知りたいと思ってくれるのが一番うれしいと前に甲本ヒロトが語っているのを動画で見たことがある。

だとすれば、俺は完全に術中にはまっているのである。(笑)

ブルーハーツの『青空』-名曲の条件とは

ブルーハーツの青空という曲を久々に聞いた。
なんかこう、今、こうして言葉にしている段階ですでにいろいろなことがそぎ落とされてしまっている。そういうことを感じさせてくれる曲だ、本当にいろいろなことを思う。

昔、武田鉄也だったかな、名曲というのはそれを聞いた時に、『あ、これ、俺のことを言っている』と感じる曲であるそうだ。

だとすれば、この青空は、間違いなく僕にとっては、名曲だ。いつ聴いても『ああ、不安もたくさんあるけど、今この気持ちは消えてしまうんだろうけど、大丈夫だよな』と心を温めてくれる。
春夏秋冬、喜怒哀楽、いつ聴いても、『あ、これ、俺のことを言っている』と思える曲はなかなかない。

そういえば、昔は、よく自室でこの曲を聴いていた。テレビもネットもない部屋で、音楽と本田だけが、唯一の娯楽だった。あの頃は、音楽を聴くだけで退屈知らずだったけど、今はネットがないと退屈でしょうがないだろうし…。そういうことを考えると、ネットの業とでもいうのかな…そういうのってあるな、と感じました。 

市川崑『おとうと』を観る

北野映画をみてから、映画を見ることにはまっている。
それも古典と言われるもの、大監督と言われる人の作品を中心に見ている。
今回は、市川崑の『おとうと』

やはり時代なのか、目立ったアクションや派手な演出はない。淡々と日常を描く、そんな感じがする。でも、何気ない食事のシーンとか、そういうのが大事なんだろうな、たぶん。

不良の『おとうと』が死ぬことで物語は終わるわけだが、分かりやすくメッセージを読み取るのは難しい。だが、市川崑は、この作品に対してこんなメッセージを残したという。『どんな家族も1人1人は孤独である。しかし孤独であることを踏まえたうえで持つ愛情は美しい。』

これがこの作品に込められたメッセージなのだろう。しかしそれを、分かりやすい形ではなく、さりげなく描くことが映画ファンにとっては、醍醐味なんだろうな…と感じました。自分は、映画通ではないので、どうしても派手なシーンや明確なメッセージを求めてしまいがちなんですが…こうした映画を見ることで今までの見かたから一つ脱皮している気がします。

北野武監督『ソナチネ』を観る

『Hana-bi』に続いて、2作目の北野映画。
前作よりも、理解するのが難しい。つまり、この映画はこういうものです、と言葉にするのが非常に難しいのだ。

内容自体は簡単で、自らの組に罠にはめられ、破門にされた村川というやくざが、報復するというもの。

しかし、本作から何か明確なメッセージを受け取ることは難しい。『Hana-bi』では、家族愛や夫婦愛、仲間といったキーワードが見受けられたし、ストーリーも明確であったが、本作はそうはいかない。

私たちは普通、映画を、何かメッセージを伝えるものだと考える。しかし、映画とは映像を楽しむもの、言葉にできないことにこそ映画の魅力があるとすれば、本作が北野映画の中でも高い評価を受けていることが分かる。

映画の中では、組員たちがただ遊んだり、じゃれているシーンがある。

紙相撲で遊んだシーンの後に実際に浜辺で相撲を取る。カット割りを多用し、静止画を重ねることで人間同士が紙相撲を取っているかのように見せる。
雨が降っているときに体を洗おうとしたのが、途中で雨がやんでしまい、泡だらけでたたずむやくざ2人の姿。などなど。

よくわからないけど、面白い、きれいである。そのようなシーンが映画の中にたくさんある。そういうものを楽しめる人はこの映画をみて面白いと感じるだろう。なにかメッセージが無いとだめだ、この映画はこれこれこういうものです、と言葉にできないとダメ。そういう人にはこの映画は不向きかも知れない。なにしろ、北野監督は、『この映画は最後だと思って、思いっきり自分の好きなものを撮ってやろう』と決めていたそうだから。

正直、私は『Hana-bi』のほうが面白いと感じてしまったのだが、単純に映像を楽しむことにも映画の魅力があると教えられた気がした。

心理学の勉強~アブラハム・マズロー『欲求段階論』

アブラハム・マズローというアメリカの心理学者によれば、人間には欲求段階があるという。
1番目から5番目まであり、安全の欲求、生理の欲求、所属の欲求、愛と承認の欲求、自己実現の欲求だという。

爆弾がおちてこない、平和である。これが安全の欲求。水が飲める、食べ物が食える。これが生理の欲求。ここまで満たされると、所属の欲求が起こり、学校や家庭、仕事場など人は何かに所属したいと願うようになる。そしてその所属先で承認されたいと願う。そこでの関係が良好であることを願う。でもそれでも人は満たされることはない。自己実現の欲求が起こる。安全で飯も食える。所属先で承認もされている。しかし自分にはもっとふさわしい所属先、場所があるのではないか。

そう思うようになる。どこまでいっても悩みは尽きることが無いんですね。ああ、人間って面倒だな…(笑)
でも、このことを知っていると、必要以上に欲望に焦がれることが無くなるかもしれない…

千原ジュニア「すなわち便所は宇宙である』を読了

千原ジュニア。彼の自宅の便所には、ある一冊の手帳があり、日々感じたことを無意識にメモしていくという。
その中には、滑らない話の元ネタとなった話やお笑いに対する考え方が記されていて、面白い。

千原ジュニアはかつて引きこもりの少年であり、中学を(高校?)中退している。大人になってからも、バイク事故にあい、生死の狭間をさまよった。しかし、そういったことさえも”笑い”に変えてしまおうとする。その姿勢に本物の『お笑い芸人』としてのすごさを感じる。

『人生は、みんな大喜利なんですよ。』

つらい経験を笑いに変え続ける彼だからこそ、この発言に説得力がある。
本書は、単なるタレント本を超えて、人々に生きる力を与えるものではないだろうか。(彼はそんなことを望んでいないだろうけど…)

『アルジャーノンに花束を』を読む

友達からのススメで『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著)を読む。
久しぶりに本当にいい小説に出会った感じがする。それくらいいい小説だ。

32歳になっても幼児の知能しか持たないパン屋の店員チャーリー・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞い込む。大学の偉い先生が頭をよくしてくれるというのだ。チャーリーはこの申し出に乗り、ねずみのアルジャーノンを競争相手に、連日検査を受けることに。やがて手術によって超天才へと変貌したが…

だいたいのあらすじはこうである。

チャーリーが手術によって天才へと変貌していく過程は彼によって書かれた経過報告により明らかにされる。最初は、ひながらだらけの稚拙な文章がやがて難しい漢字が多用された聡明な文章へと変化していく過程がチャーリーの変化をそのまま表すというにくい仕掛けがしてある。頭がよくなるにつれて自分が皆にバカにされていたことや親からが虐待を受けていた過去などをありありと思い出してしまう。それが彼にとって、この世界に対する大きな失望と喪失をもたらす。『ぼくのまわりはみんないい人ばっかりです。』友達がいっぱいだったチャーリーが、『なぜ周りの人間はこんなに愚かなのだろう。』と語る自己中心的で排他的な人間へと変わっていく。

知識や知能が人と人が意志疎通を図ることに邪魔になってしまうことがあまりに多い。知識を求める心が愛情を排してしまうこともある。という意味のことをチャーリーは語るが、いつの時代でも必要な知見であることは間違いがない。

たがいの腕の中にいて、与え、受け入れることがいかに必要かということがよくわかった。子供は子宮から、友達は友達から、互いに離れていき、それぞれの道を通って孤独な死のゴールに向かって赴く。だが、これはそれを押しとどめる釣り合いのおもりだ。(459頁)
人と人が愛し合うことの意味をそう考察する彼の言葉は特に印象に残る。

自ら実験の有用性を否定する結論にたどりついた彼は、自分の先がもう長くないことを知る。人為的に急速に身に付けた知識はそれと比例する速度で失われる。

アルジャーノンはやがて死ぬ。彼の日記は昔に戻っていく。いや、かつての知能に戻ることすらもうできない。ほとんど廃人になるほか道はないのだ。

最後の結論は、ぜひ本書をよんで確かめてもらいたい。おすすめの小説は何?そう聞かれたら『アルジャーノンに花束を』と答えたいと思う。























牛久の大仏に行ってきました

前から行きたかった茨城の牛久大仏。なんでも高さが世界一の大仏で、ギネスに認定されているらしいです。

中が空洞になっていて、エレベーターで大仏の胸辺りまで登れます。ただ、見るほどの景色かというと…ビミョーですね。
あと、これだけでかいとアトラクション施設のような感じも受けますが、やはり宗教施設です。なかは、そういう感じですよ。

周り一帯が公園みたいになっていて今の時期は花がきれいです。家族連れで行くと楽しいと思います。


昔読んだ本について書こう。睦月影郎『Gのカンパス』

官能作家として有名な睦月影郎の自伝的小説。
少々時代が古い感じは否めないですが、今読んでも共感できる部分もあり、楽しめます。
思春期の男子のどうしようもなさ、なさけなさは、いつの時代も変わらず可笑しいものだなと。
今青春時代を送っている人、かつて青春時代を過ごしていた人両方に楽しめると思います。


記憶がおぼろげなのですが、たしか童貞で女性と付き合ったことが無い主人公がヤンキーで女には事欠かない先輩に『女性と付き合ったら何か変わるんでしょうか?』と尋ねるシーンがあります。そ
の時の先輩の答えが、『何も変わんねーよ。ただ、男も女も一緒だって気づくだけだ。』なんです。
これって、結構的を得てますよね。個人的には、ああそうだよなって感じだった。年頃の男は女の子を女神さまのように考えてしまうけど(笑)、そんなことはないと。(誰もが思い当たる節があるんじゃないでしょうか)実際には、女も欲望もあるし、ずるいし…みたいな。だから、女の子を特別視できるってことは、その時代の男の子の特権なんですよね、ある意味では。

だから、アイドルを求める気持ちがあるんだと思います。
アイドルには幻想を持って自分の好きなように想像することができるから。

読みながらそんなことを考えました。

高円寺&月島に行ってきました!

みなさん、GWを満喫していますか?
天気も良くて、行楽日和ですね。私は、友達と高円寺&月島に行ってきました!

高円寺と言えば、服屋さん。友人は、古着が好きなので行ったことがあったらしいですが、私は初。とても落ち着いていて、いい街でした。古着と言えば、下北も有名ですが個人的には高円寺のほうが好きになりました。田舎育ちの自分としては、下北は人が多い。(笑)
高円寺はいい具合に落ち着いてて、古着屋さんだけでなく、普通の服屋さんもあって、よかったです。

その後、月島にもんじゃを食べに。月島も初めてでしたが、あんなにいっぱいお店があるんですね、びっくり。しかも、GWの影響もあるのか夜6時くらいでかなり混んでました。私たちは、運良くすぐに入れましたが、かなり待った人も多いはず。

とまあ、こんな具合で、いい休日だった。




江戸川乱歩美女シリーズ『天国と地獄の美女』(パノラマ島奇談)を観る

これは、かなり昔のドラマ作品である。自分の親でも古い作品になるのではないだろうか。
そんな古いドラマをなぜ見たのか。江戸川乱歩が好きだからである。ちなみに、江戸川乱歩は大槻ケンジさんがファンだということで、読み始めた。

さて、ドラマの話である。何と言うか…(笑)
いや、見てくれたらわかる。江戸川乱歩の作品は、悪く言えば荒唐無稽、そんなのあり?という設定が多い。例えば、このパノラマ島奇談は人見浩介と郷田源三郎という瓜二つの2人の男が入れ替わることから物語が始まる。しがない芸術家の人見はパノラマ島という人工的な夢の島を作ることを夢想していた。資産家である郷田が死に、入れ替わることでその莫大な資産を使って夢の島、パノラマ島を作る。

しかし、冷静に考えていくら瓜二つでも別の人間が入れ替わるなんて不可能だろう(笑)
郷田の奥さんは後に気付くのだが、結構時間がかかるのである。そんなのすぐわかるっての。奥さんに正体がばれた人見は、最後、人間花火となってパノラマ島の夜空に散る。この終わり方もすごい。花火の噴射で、人間が夜空に飛ぶことなどできるのか(笑)

とまあ、このように突っ込みどころが満載の江戸川乱歩なのであるが、それでもいまだに読者を離さないのは、その発想であろう。
パノラマ島奇談しかり、人間椅子しかり、そんな発想しないよ、という物語を平然と書くことができるのが乱歩なのだ。『発想で勝つ』という典型の作家だと自分は思う。前に、「自分にっとっては、小説を書くことが犯罪を犯す解毒剤になっていた。」と乱歩が書いた文章を読んだ。そういう人物なのだ、乱歩は。

そんな人が作った作品はやはり面白い。みなさんも、是非一度、小説を読んだり、ドラマを見てみてはいかがでしょうか。

北野武監督 『Hana-bi』 を見る

今まで北野武の作品は見たことが無かった。暴力的なシーンがあまり得意ではないからだ。
しかしこの映画は素晴らしいものだった。
なんで今まで見なかったのだろう?最初は、おお、これが世に有名な『北野ブルー』か!などど思いながら見ていたが、気がつくと画面に見いっている自分がいた。

まず、音楽がいい。静けさと穏やかさが調和された音楽は、映像にぴったりだ。
岸本佳代子さんがほんとうにかわいらしい。たけし演じる西と岸本佳代子さん演じる妻との旅は本物の夫婦であるかのような錯覚を起こす。
2人のかけあいで見せる岸本佳代子さんのリアクションはかわいらしい。胸キュンものである。

北野武の映画は暴力映画と言われることもあるようで、自分もそう感じていたが、この映画は単純な暴力映画では決してない。他の作品も見てみよう、と思った。

今日読んだ1冊『爆笑問題の日本の教養』


学問は生き方であった、そう言う太田のコメントに感動する。太古の人々にとって、学問とは獲物の獲り方や雨風のよけ方であったはずだ、と。つまり、生き方であった。
今でも学問に対する考え方は変わらないはずである。

学問とは、ものを知ることは、本当はそういうことであるはずだ。

これも本の中に出てくる太田の話。カート・ヴォネガットというアメリカ人のSF作家がいた。『国のない男』というエッセイで、彼はこんなことを書いていた。ヴォネガットには2人のおじさんがいた。1人のおじさんは、人間は戦争や災害が無いと立派にならないという考え方の持ち主ですごく嫌いであった。もう1人のおじさんは、大好きなおじさんであった。ある日、2人で木陰でレモ・ネードを飲みながら話をした時、何の気なしにおじさんが言った言葉にヴォネガットは感動して、「ずっとそのおじさんのまねをしてきた。」と後に語った。「今が、幸せじゃなくて、何が幸せなんだよ。」そう、おじさんは言ったという。
それを熱弁する太田が、とてもかっこいいと思った。
プロフィール

はし

Author:はし
さいたま在住の22歳、男です。
本の感想や気になる社会テーマについて、書きます。
気軽にコメントしてください(^^)
写真は、江口寿史の作品です。こういうコにあこがれちゃいます笑

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