『ウケる!アイデア術』を読了


お笑い芸人に学ぶ ウケる!アイデア術 大喜利思考で面白発想がどんどん生まれるお笑い芸人に学ぶ ウケる!アイデア術 大喜利思考で面白発想がどんどん生まれる
(2011/11/25)
田中 イデア

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放送作家である著者が、大喜利をアイデア・企画に生かせ、と書いています。割と、面白かったので、『シャッター商店街を再建するには』というお題で、私も考えてみました。冒頭では、本書の内容に沿ってまとめていますが、後半からは『シャッター商店街を再建するには』のお題として、考えました。

お題『新しくオープンした人気のラーメン屋さん。その理由とは?』
発想力を鍛える
1.キーワードの特徴を書き出す。とにかくたくさん。30個目安。
例)ラーメン屋さん 
男が多い 
寡黙な店主 
床がぬるぬる 
時間がかかる
湯切りが派手
スープ残す
ラーメン評論家がいる
ご当地ラーメン

2.特徴をカテゴリ-化する。思考の分布が分かる。
(ラーメン)
スープ残す
ご当地ラーメン
ラーメン評論家
(店)
男が多い
寡黙な店主
床がぬるぬる
(サービス)
時間がかかる
湯切りが派手

ここからはお題を変更してやってみる。1.2の手順は同じ。
お題『シャッター商店街を再建するには』
3.発想
(1)組み合わせ 
シャッター商店街×□
□に入れる言葉はルーレット方式で。本をぱっと開いたところにある言葉を使う。
町おこし×ダイエット、車、男、恋愛、食事など
□に入れる言葉は不満で。不満検索『○○ 不満』で検索。
シャッター商店街×若者少ない、おしゃれ店がない、夜のネオンなし、交通網弱し
(2)逆転
特徴を逆転させてみる
シャッター商店街の特徴『若者少ない』『おしゃれな店少ない』『夜の店ない』『交通網弱い』を逆転
地元の大学生と協力したお店、地元の店の服を着て、美容院でセットした女の子が表紙の本を作る(美女図鑑)、若者街のようなものを作り、朝方までやってるエリアを作る、貸出自転車、買い物したら駐車場無料
(3)拡大と縮小
既存のものに、何かを足したり、ひいたりする
量、時間、費用、回数、長さ、高さ、付加価値、など
拡大)…少ないものを多くする志向
駐車場の拡大、カップルの拡大、営業時間の拡大(エリアのみ)、コミュニティの拡大(ただ集まって話す場所を確保。そこで金使えば尚よし)
縮小)…多いものを少なくする志向

4.非常識な文章を作る
常識的な文章
シャッター商店街は、若者が少ない。オシャレな店が少ない。早く閉まる。それを否定する文章を作る。
シャッター商店街は、若者が多い。 オシャレな店が多い。 夜遅くまでやっている。それを実現できるようにする。
       
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『富山県が住みやすい(?)ワケ』

『日本の教育への公的支出が低いワケ』

インターネットの業

まずお断りしておくと、今から書く内容はどうでもいいこと、である。
しかし、時間があるとついその『どうでもいいこと』を書いてしまう。便利なものは、毒にも薬にもなる。ことごとく危険をはらんでいるとは、このことか。もちろん、ネットについて、である。

内田樹氏が以前ブログで以下のように述べていた。

こうして通信環境が高度化し、それにつれて私のアウトプットも増量し、それにつれて私の人生が一層タイトで生きにくいものになってゆくことがわかっていながら、IT環境の高度化を私は止めることができない。 一度ネットにはまってしまったものの「業」である。

業という言葉を使うあたりが、面白い。業(ごう)とは、仏教用語であり、報いを受けることであろう。
光があれば、影がある。それをうまいこと言い表す言葉というのは、存在するのですね。

ほんとは、暇な時間はできれば、本でも読んで個人の思考を高めたほうがいいのだろうけど、ついついTwitterやFacebookで情報を発信してしまうもの。こうして、個人の自己承認欲求は高まっていくんだろうなぁー。
しかし、自由と孤独は仲良しであるのだ。つまり、他人に自己の存在を求めること、自己承認されたいと願う気持ちと自分の中で自由であること、思考が自由なことは矛盾するものなのだ。

その矛盾を抱えてみんな生きている、多分。少なくとも私はそうだ。おそらく、その矛盾に無自覚な人(特に若者なんだろうな)は、自意識をこじらせて大変なことになっちゃう。その典型が、私は人と違う、特別であることを、分かってほしい。』ですよね。考えてみれば当たり前なんだが、本当に特別なら誰にもわかってもらえないものですよね。個性なんかも、この話と同じ根っこなんだろうな。

人間ならだれしもが抱えてしまう矛盾を自覚することが一番の処方箋なんだと思う。
ま
※画像は特に関係ありません

すべてはモテるためである3回目

モテ

2回にわたってまとめをしてきたが、今日はラスト。
例によって、心に残った個所を引用しよう。

ある人間が「心の底から願っていること」「本当にほしがっていること」は、じつは「その人が他人に対して与える能力を持っていること」なのだ。たとえば、モテたいと切実に思っているあなたは、その一方でだれか(タレントとか、アニメキャラかもしれないけど)に恋してるでしょ?、と。その人は、あなたからモテている。「モテたい、モテたい」と言っているあなたは、「他人を愛する能力があるのだ」。(208頁)
この言葉などは、人の思考すべてに応用できそうである。

恋するとは、相手を求めること、自分のものにしたがること。愛するとは、相手から肯定されること。そのように筆者は定義する。
そして、自分がしたいことは、恋するじゃなくて、愛することなんだと認めたうえで、愛することによって自分が変わることを恐れないのが、つまり大人になるってことじゃないだろうか、と私たちに説く。(208頁)その姿、まるでお釈迦様のようである。

さらに話は続く。
子供であることのほうが変化の余地があって、大人になると人間が硬直すると考え得られがちだが、そんなことはない。子供であり続けるほうが『がんこ』で、自分を守っているのだ。

>大人だということは、『もう、そんな長い時間は残ってないんだから、なるべく他人を幸せにしよう』と考えることだ。(209頁)
この言葉などをみると、この本は、ほんとにモテ本だろうか、と読者に思わせる。それほどに、筆者の思考は果てしなく広い。(マジですよ、これ)私にはまだわからないが、いつか分かるときが来てほしい。大人になるということが。

こうして本書を振り返ると、『自分の頭で考える』ってことが、いかに大切であるかを痛感させられる。「人は、誰かの思うようにされたい生き物である」とは、養老孟司の言葉であるが、まさにその通りなのだ。人の意見に従っているほうが楽なのだ。そのほうが、エネルギーがかからない。また、自分の頭で考えることは、誰かに習うわけでもない。自ら学ぶ姿勢が重要なのだが、その視点は欠落している。終わりに掲載されている哲学者の國分功一郎氏のとの対談でも『生き方、というのは実は学ぶべきものなんだ。その視点が欠けている。』との言葉がある。『ロールモデルが単純(誰かの意見に従ったり、マネをすること)だと、たしかに楽なんだけど、その安楽さは自己否定と一体何ですね』。なんて含蓄に富んだ言葉であろうか、と思う。(220頁)

恋愛感情というのが自分の心の穴から出てきているもので、しかも心の穴が主として親によってあけられたものだとすると、恋愛は親子関係をやり直していることになる。こうした視点は新鮮で、新たな発見であった。親にしてもらえなかったことを、恋人にはしてほしいということか。
よって、自分の心の穴がどんな形をしているのか確認することが重要であるとなる。(つまりそれは自分の中の女性キャラを意識することだし、親との関係を再認識することである)(222頁)

最後に、本書のとりあえずのまとめをしておこう。買ったときは、本書がこれほど含蓄の富んだものであるとは思わなかった。よって、ブログに3回にわたってまとめを書くとは思いもよらなかった。まず、こうしてまとめを書いている時点で自分が相当恋に(もしかしたらそれ以外も)不器用であることを露呈してしまっているので、かなり恥ずかしい。けれども、本書の1番のテーマは『自分を持っている人とは、どういう人か?』という問である。その答は、『好きなことがあって、一人でいてもさみしくない場所』を持つことである。それが自分が何者か、を把握することになる。そのうえで、女性に臆病になりすぎず、相手の話をしっかり聴き(自分が変化することを恐れない)、自分の肚を見せる(判断は人にゆだねる勇気を持つこと)ことがモテる秘訣であると教えてくれるのではないだろうか。

まあ、言うは易く行うは難しで、今すぐに実践はできないだろうが、近い将来に自分にとっての『モテる』状態を実現したいと願っています。

みなさんも、面白い本ですから、是非。必ず得るものがありますよ。

森博嗣『君の夢、僕の思考』

き

前回の『議論の余地しかない』がとても面白かったので、2冊目を読んでみた。以下は、私の心に残った個所の引用である。

どんな仕事についても、どんな人間と付き合っても、やっぱり、自分に都合のいい目標を近場で適当に見つけて、それに集中して、逃避して、それが自分の夢なんだろうって、思い込もうとするんです。人間て、そういう生き方しかできないんですよね。

優しさに触れなければ、なかなか優しくはなれない、

人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。

で、一番しびれたのが次の文。
人間の最も弱い部分とは、他人の干渉を受けたいという感情だ。自己以外に自己の存在を求めることが、人間の本能としての幻想だ。その感情が、内部の思考領域を限定する。その感情こそが、自由を奪う。その矛盾の中で、常に人は生きていかねばならない。



ところで、話が脱線するが、家でショムニの再放送を見ていたら、江角マキコが以下のセリフを言った。
『本心からは誰も逃れられないんだよ。他人はダマせても自分はダマせない。』
なんてうまい言い方をするのだろう、と感激した。本心からは逃れられない、『本心』とは、まるで亡霊のようだ。私は今22歳なのだが、この年になって、ようやくそれが分かってきた。
と同時に、そもそもあなたの本心は何か、という問いにきちんと答えられる人にならねばならない。

すべてはモテるためである、の続き

モテ

単なるビジネス本の枠を超えた良書『すべてはモテるためである』。前回は、その前半部分をまとめた。要約すると、モテない人とは、「自意識過剰になってしまっている人」のことであり、バカか暗い人の2パターンに分けられるという。恋をすると女の子が逃げることに頭にくる男がバカである。女の子が逃げるのを恐れるあまり声をかけられない男は暗いと分類される。

さて、前半では、自分が「バカ」か「暗い」のどちらに分類されるかを把握したうえで、その処方箋が出された。その方法は意外に簡単で、「自分が熱中できる場所(=一人っきりでいてもさみしくない場所)」を持とう、とのことだった。一人きりでもさみしくない場所を得ると、次の2つが身につけられる。1つ目、自分が何者かがわかる能力(これがバカの処方箋)。2つ目、適度な自信(暗いヤツへの処方箋)このへんが、よくある恋愛ビジネス本と違うところである。だって、そういう本で「一人っきりでいてもさみしくない場所」を持とう!とは書かれないですよ。で、自分を客観視できるようになって、適度な自信がついた。さあ、次はどうする?というのが、後半への問いである。

その答として、「キャバクラ」や「風俗」にいって、実際の女の子と話す練習をしようとなる。『相手の土俵に乗る』ことを身体感覚で身につけよう、というのだ。このへんも本書の良い所だ。前半では、とにかく自分のことを考えろと言われる。理想のモテ方はどういうのか、どんなコがタイプなのか、等々。しかし、後半は一転『よし、バカでも暗くもなくなったら、キャバクラか風俗へ行け!』とやけに具体的になる笑。

では、『女の子と同じ土俵に乗る』とは、何を意味するのだろう?それは対話できるということである。
>対話とは、相手の言っていることをまずは聴く。けれど、判断はしない、決めつけないこと。それから自分の肚を見せることです。(132頁)とある。
よくわかるぞ、筆者。これがいかに難しいことか、みなさんもわかりますよね?まず、しっかり聴くだけでもエネルギーが要るのに、加えて判断はするな、と。これは難しい。けれど、かなり重要な指摘であることはわかります。それを見透かしたように、本書では「これ、むずかしいですよ、モテてないあなたには。でも肝心なことです」(133頁)とある。笑これは心理学でいうところの、『傾聴』ってやつですね。このAV監督すげーな、とびっくりしていると、さらに筆者の指摘は続く。

『上から目線ではなく相手の話を聴く、つまり「相手と同じ土俵に乗る」というのは、あなた自身が(相手の話を聞いたことによって)変わるつもりがあるか、変化する気があるかどうか、ということです。変化する勇気があるか、ということでもあるでしょう』(135頁)いやー、これはしびれましたね。とりあえず、聴く。ここまでは、言える人多いと思います。でも、判断しないとは、上から目線ではない、ということがどういうことなのか。それは『変化する勇気』があるかどうか、である。こんなふうに言語化した人を初めて見ました。ただもんじゃないな、この人。

次に、自分の肚を見せる方法が示される。ただ、自分を見せて、それがどうとられるかは『相手の判断に任せる』のです。(138頁)こう受け取ってほしいと押し付けるのではなく、弱い自分を許してほしいと甘えるのでもなく、そういう自分は醜いと自己嫌悪するのでもなく。ただ、『自分を見せる』。これもたいせつですよね。ただ、勇気がいる。どう思われるかは、相手に任せるんだから。それが素直になるってことでしょう。つまり、ここでも勇気がいる。そうか、モテる人って『勇気』があるんだなぁ、と発見です。自分を守らないでください、と。まあ、そこまで考えなくてモテる人(筆者の言うかんじのいいバカ)もいるんでしょうけど。

さあ、ここまでのことができれば(かなり大変)あなたは自分が「馬鹿か臆病である」ことを知り、自分の「心のふるさと」を持ち、一人でいてもさみしくない居場所を得て、キャバクラや風俗で「現実の女性との接触」を練習し、コミュニティ・サークルで「ちゃんと話を聴くこと」「あなた自身が変わることを恐れないこと」「自分を押し付けないで、ただ見せること」ができるようになり、相手と同じ土俵に乗れるようになった。それなのに彼女ができない、それはなぜか。が、次のテーマです。

それはあなたが『いい人』になってしまっているからだ、と筆者は言う。自分を口説けるキャラクターではない、と決めつけてしまっているからだ、と。(本当によくわかる。自分が口説いてもなーって思ってしまうもん、私も)そんな人に、筆者は、心の中にヒーロー戦隊を持て!とアドバイスする。5人の戦隊の目的は、彼女を作ること。(こう書くと恥ずかしいですね)赤は熱血漢、青はクールで冷静、黄はチャラくて、下ネタも言う…。一人の中には、いろいろなキャラがいる。その中の一人に、(ふだんなら言えないような)キザなセリフを言ってもらったり、口説いてもらいましょうよ、というのだ。ヒーロー戦隊とは、うまい発想ですね、私は実践します。で、数あるキャラの中で最も重要なのが『桃レンジャー』なのだと。桃レンジャーは、あなたの中の女の部分。好きになった女性を攻略するために、次に誰を出すか、熱血で行くか、クールで行くか。そのローテーションは、この『女性メンバー』に考えてもらわねばいけないのだ。ということは、桃レンジャーは司令塔ですね。そして、桃レンジャーと好きになった女性は、似ているところがあるはずなんです、と筆者は言う。ピッタリ重なれば、理想の女性が表れたってことなのだそうだ。ところで、あなたの理想の女性はどういう人だろうか。言い換えれば、桃レンジャーはどうしたら意識できるのだろう?この疑問についても、筆者は、超具体的な回答をする(笑)。それは、あなたがAVも過去の体験も使わずにオナニーしているときに思い浮かべている女性のことだ、と。
とまあ、これで外見とかは分かりますが、内面はどうなのか。女性キャラは必ずあなたのお母さんの影響を受ける、これも筆者の言葉です。ピッタリ重なってる人は、マザコンと呼ばれるんでしょうね。自分の中の女を意識する、どんな人なのか、何がほしい人なのか、何を喜び、何に傷つく人なのか。それができる人を「女心が分かる人」っていうんでしょうよ。ちょっとやってみよう、皆さんも意識してみると面白いですよ。で、ちょっと考えただけでたしかに母親の影響を受けているってわかります(笑)。気味悪いですけど。

ふー、今回でこの本の感想は終わりにしようと思ったんですが、まだ書くことがありそうです。いや、この本、ほんとすごいっすよ。
最後に、心に響いたメッセージを一つだけ記します。『自分が何がしたいかを分かっていないほど、悲しいことはありません』

森博嗣は天才

も

時々、本を読んでいて、なぜこの人は、こんなに頭がいいんだろう?とおもってしまう人がいる。私にとって、その中の一人が写真の中の人、森博嗣さんである。森さんの言うことは、たいてい身もふたもない、だからこそ安全。そういう場合が多い。いかにも理系らしく、理路整然としている。それを容赦ないと感じる人もいるだろう。だけど、私はこういうタイプの人が好きである。アドバイスや意見に『温度』を持たせることをしない、たいていこういう人は嫌われるのだが、森さんはたぶん好かれている。こういうのは珍しい。理路整然としているのに好かれる。こういうタイプでほかに思いつのは、養老孟司さんくらいだ。

今回は、議論の余地しかないというフォトエッセイ集を読んだ。フォトエッセイなんてものは、たいてい一度読んだらもうおしまいなものが多い。しかしこれは違う。何度読んでも新たな発見があるだろう。それほどまでに、森博嗣という人の思考は果てしない。私が考えていることなんか、とっくに考えているんだろうなぁ、と思ってしまう。なぜ、こうした発想ができるのか、それを自問するだけでも意義のある本であろう。

心に残った個所をいくつか引用しておこう。どうせ備忘録なんだから。

『正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説に過ぎない』
『なにがどうわからないのかがわかっていれば、わかっていることと限りなく近い』
『基本的に説明しようと思ったときに、説明の大半は終わっている。あとは言葉を並べるだけだ。多くの対象は、説明しようと思うところまで達しない。』

このへんは、理系ならでは、と思わせられる。物事に正解なんてものはなく、なおかつ世の中は謎に満ち溢れている。

『あなたは、言葉を駆使して自分の歩いてきた道を舗装しているだけ。後ろ向きに掃除をしているだけなのよ。』
これが一番しびれた。たしかに、そうだ。人は、通った学校、付き合った友人、過ごした場所など、過去を振り返ってあれこれ言う。しかしそれは皆、結果論だ。その時は常に後ろ向きで歩くしか、ない。ただある程度の予測はできる。人の話を聞いたり、本を読んだりして。それしかできないのも、また人間なのだ、と森さんは言っている。これはしびれたなぁ。スパッと切れるナイフのような言葉だ。

『先生が、私たちに教えてくださったのは「素直に」「慌てるな」「怖がるな」の3つでした。それを忘れず生きていこうと思います。』
最も難しいことは、何事にもずっと素直でい続けることだ。どうしたらそれができるか、と自問するだけでも随分違う。
最後に、もう一つ。
『"人生経験の豊かな人"というのは、あり得ない。だれであれ、経験できるのは自分の人生だけである。』
このあたりも森博嗣ならでは、と思わせられる。私たちはついつい"あるべき人生の形"みたいなのをモデル化してしまい、そうした経験のある人(留学したことがある、どん底から這い上がって社長になった等)を人生経験が豊かだという。しかし、考えてみれば当たり前だが、自分の人生はその人限りの限定品であり、だれとも比較することはできない。そこに誇りをもって生きていっていいんじゃないか、と教えられる。

まだまだ引用したい部分があるけど、それはまた今度。
ぎ

現実とは、その人の行動に影響を与えるもの

箴言(しんげん)という言葉をついさっき知った。本屋で。
『短い格言』という意味らしい。

私が、そう聞かれて真っ先に思い出すのは、次の一言である。

『現実とは、その人の行動に影響を与えるもの』@養老孟司

例えば、本屋には無数の書籍があり、情報がある。しかし、その本がその人の行動に影響を与えなければ、その本は現実にならないのである。(うーん、わかりづらい文章)しかし、言っていることは結構単純である。
例えば、私にとって、ブログは現実だ。今こうしてブログを書いているし。でも、うちの親にとっては、ブログは現実ではない。説明すれば、『ふーん、そういうものがあるんだぁ』と言うだろうが、実は間もなく忘れる。私にとって『確定申告』は今のところ現実ではない。まだ、したことがないし、ネット等で調べたこともないから。しかし親にとっては現実だろう。そういうことである。

行動に影響を与えないと、単なる知識に終わるよ。そう、養老先生は言いたかったのだと思う。
これは、けっこう使える知見ではないだろうか。そう思えば、人と人がコミュニケーションすることがいかに大変なことかわかるし、無用に人を傷つけなくて済むはずである(その割には、私は人を傷つけるが…)また、生きることも面白くなるはずである。だって、自分に影響を与えていないものなんて、それこそゴマンとある。じゃあ、生きるのって結構楽しそーじゃん、そう思えてくるのである。

甲本ヒロトの名言

甲本ヒロトは、私が最も好きな有名人であり、ミュージシャンである。
かつては、ブルーハーツ,ハイロウズの、今はクロマニヨンズというバンドのボーカルをしている人だ。『リンダリンダ』を歌った人、と言えば一番わかりやすいのか。

以前、ライブのDVDを見ていたら、彼がこんなことを言っていた。『楽しいと楽って、同じ漢字を使うだろ?でも、意味は対極なんだなぁ。勘違いしてる人が多いんだ。』
私は、甲本ヒロトほど楽しそうに歌をうたっている人を見たことがない。(私の知る限りですよ)見てるこっっちにも、「ああこの人はロックが好きなんだなぁ」というのが、伝わってくるのだ。甲本ヒロトを好きな人なら、同じことを思う人も多いのではないか。で、そんな人が、ライブをしているとき、おそらく楽しくて仕方がないであろう人が、楽しいと楽は必ずしも一致しない、ということを教えてくれた。これほど説教臭くない、温かなエールがあるだろうか!

やっぱり、同じ言葉を言うのでも、発する人によってそれが届いたり、届かなかったりする。私の場合は、甲本ヒロトさんに言われてハタと気付いた。
『楽しい=楽じゃないんだ』と。

それ以来、楽しいことをする時は、なるべく楽をしないように気をつけている。例えば、誰かと付き合うのも楽じゃないですよね?オシャレに気を遣うのも楽じゃないですよね?自分がしたいことをするのも、楽じゃないと思う。これも甲本さんの言葉。

それを忘れずに過ごしていきたい。

甲本ヒロト
最後に、甲本ヒロト名言集を載せておきます。ファンの方は、是非。

疾走、の続き

し

前回の続き。
この小説を読んで心に残った個所を備忘録しておこうと思った。
『シュウジ、これだけは忘れないでください。あなたの憎んだ故郷の小さな庭の片隅に、ヒマワリがさいていることを。その花はいつも太陽のほうを向いている、ということを。』
これは神父が、絶望して旅立つシュウジに贈るセリフである。私も、親元があまり好きではない。いい思い出ばかりではない。けれど、実家の庭にたくましく咲いている花を思い出すと、心がふっと軽くなる気がした。

『親になれば、自分たちの『弱さ』が『強さ』に変わるとでも思ってたんでしょうかね、それこそが弱い人の証明なのに。』これは印象に残った。ほかのこと、自分についても当てはまるんじゃないか、と思うのである。
東京に行けば変わる。あのときああすればこうなってた。すべて、同じなんだよ、きっと。
弱い人は、今・ここを受け入れられない人なんだな。私もそういうところがある。そこを、克服していかな
いといけない。時間は十分にある、心配しなくていい。

重松清、疾走

し

素晴らしい小説は、常に読者を超えていて、その時だけでは絶対に味わい尽くすことができない。読者の成長を温かく待っていてくれる
『疾走』を読んだ感想である。。
やっぱり私は人生に前向きな人が好きだ、と思う。
人生に前向きでいられるのか、そうでないのか。
その違いはどこかえら生まれるのだろう?と考えた。
この小説の中では、神父が強く、人生に前向きな人物として描かれている。
例えば、こんなセリフ。『お金で取り戻すことができないものを奪われてしまうほど、悲しいことはありません」『例えば、記憶。嫌な思い出というものはありません。思い出はすべて大切なものです。いとおしいものです。かけがえのないものなのです。』

過去は動かしようがない。そうなってしまったものは仕方がない。で、あるならば、それがよかったと思えるように残りの人生を動かしていく、それがたいせつなんだ。そう覚悟する気持ちが伝わってくる。

またはこんなセリフ。『人を殺す時は、自分も殺してるんだって。』
人を嫌うときは、自分も嫌っている。人を憎むときは自分も憎んでいる。そういうことだ、それは忘れないでおこうと思った。

昔読んだ本の一説を思い出した。
「だれであれ、気づいたら生まれていた」。どういうわけか、知る由もないが、その世界に私は後から参加させられる。だからこそ人は、生涯にわたって、世界を学んでいくしかない。それこそが、人生そのものではないか。@養老孟司』
こんな言葉を言える人がどれほど言えるだろう。
生半可な体験をした人でないとこの言葉は、言葉遊びになってしまう。そこから先は、自分次第、ということか。

『疾走』でも、同じことが言えると思う。ここに書かれた言葉が腑に落ちるには、相当な体験を積み、人間的に成長しないとムリだろう。

好きな洋楽

洋楽を一時期、ハマって聞いていたんですが、なかなか人に話す機会もなく、いつか忘れてしまいそうなので備忘録としてここに記しておく。
私はパンクロックが好きなので、洋楽と言っても数曲しか聞きません。しかも英語の歌詞はわからない(笑)。こんな時だけ、英語ができたらいいな、と思う。それでちょっと勉強した時期もあったのですが、やっぱダメですね、大体英語を使う機会もないし。

と、いうことで、洋楽のパンクロックです。
1)セックスピストルズ
もう、これは王道ですよね。野球で言うところのベーブルース、落語で言うところの古今亭志ん生みたいな。その道の始まりであり、先駆者である、という。一部の評論家は、日本の「村八分」のほうが始まりは早かったというけれど、パンクロックの言葉を世に知らしめたのは『セックスピストルズ』なんでしょうね。今では、雑貨屋さんとかでTシャツやぬいぐるみ(笑)になっている彼らですが、当時、彼らに立ち会っていたら絶対にトラウマになっていたと思います。私は。なにしろ、シドビシャスなんて、ファンのコにフェラさせちゃうような人ですからね、やばいですよ。
しかし、音楽はカッコイイんですよね。カッコ悪くてカッコイイ、っていうロックの形を作っちゃったのかもしれません。私は中でもシドが歌う『マイウェイ』が好きです。マイウェイなんて、日本で言う演歌みたいなもんで、ベタベタのおっさんソングなんですよね、それをあんなふうに歌っちゃう、っていう。しびれます。甲本ヒロトさんは影響を受けているって言ってますしね。

2)ラモーンズ
ニューヨーク出身の彼らもパンクロックの走りであります。私もアルバムを借りて聴いたのですが、『ロックンロールレディオ』はよかったですね。歌詞はわかんないんで、残念ですけど。
教養としてたしなみたいな~なんて。私の好きな伊坂幸太郎さんもファンなんですよ、『砂漠』っていう小説にはラモーンズのことが、いっぱい書いてあって印象深いです。最後に、ラモーンズのボーカル「ジョーイ・ラモーン」(たぶん)の名言を紹介して終わります。
『ガキが俺たちを見た時に、これなら俺にもできると思ってほしかった。俺たちはそんな高度な演奏はしてねぇ。ジミヘンなんて20年練習したってできるようになんねぇよ。』
いや~、カッコイイ。セックスピストルズもラモーンズも、果てはブルーハーツも演奏は高度ではないんでしょうけど、あの魂みたいなのは、だれにもまねできないですよね。それがパンクなのかも、と思わせられますra.jpg

都道府県別自殺率

あまり、タイトルがよろしくはないが、面白いサイト記事を見つけたので、ここにまとめておくのである。
『自殺者がナンバー1の県てどこ?』こう聞かれたら、秋田県!と答える人も多いのではないか。
私もそのように思っていた。しかし、自殺と都道府県の関係は思う以上に複雑であり、簡単にはいかないことがわかった。

まず、人口10万に対する自殺率で見ると、ダントツで秋田が1位である。しかし、秋田は平均年齢が1番高いである。自殺者の多くは、中高年であるから、秋田=自殺しやすいというイメージは必ずしも当てはまるわけではない。
ちなみに、この統計で見ると、1位から順に秋田、青森、岩手、島根、高知、新潟となる。どちらかといえば、寒い地域、経済がよくない地域だと言えるだろう。
ところが、死亡者1千万人に対する自殺率でもみると、沖縄、埼玉、が上位にくる。沖縄、埼玉ともに高齢者が多いのはもちろんのこと、沖縄、埼玉ともに経済状態が悪いということか。埼玉がなぜランクインするかは不明である。仕事のストレスとかかな?電車に飛び込む人とか?よくわからん。

まあ、デュルケーム『自殺論』に書かれている通り、気候というのは影響を与えそうだ。『寒い、くらい、ひもじい』というのは確実に人に生きる力をなくしていく。私は、以前新潟に住んでいたのでそれはよくわかる。
しかし、秋田=自殺1位というのも、統計の取りようによっては必ずしも当てはまらないことが分かったので、貴重な勉強になった。自殺

6.29  今後の決意

人が、情報を語る時、それは客観的事実を述べているのではない。主観的願望を述べているのである。新聞社は、つぶれることがないと親は言う。
しかし、それは主観的願望に過ぎない。ただ、これからの時代、新聞社というハードは消える可能性は高い。しかし、『ジャーナリズム』や『エンターテイメント』といった商売は残る。
向こう10年くらいは、大丈夫であろうから、そこの間にどれだけ自分がスキルアップできるか。どれだけ、『ジャーナリズム』や『エンターテイメント』の部分でスキルを身につけられるか、そこが勝負である。
そこは決意として持っておこう。スキルアップできた時、新たな展望を見つかるはずだ。転職するのもアリだし、(栃木を離れることもある)社会人枠で県庁(32歳未満なら可能)、市役所に入るとか、教員になるとか。

人は、問題によって生かされている

人は問題によって生かされている』という対談にとてもいい話があった。


以下、いいと思った箇所を引用しておく。
小山: 先日、場の研究所の清水博先生と、「大地の芸術祭」[*1]が行われている越後妻有に行ってきました。そして向こうで、清水先生が小学生たちに書籍『コペルニクスの鏡』の話をしたんだよね。僕もそこに同行した。話す相手の小学生は、被災地から林間学校として越後妻有に来ている子たちでした。

[*1]大地の芸術祭
http://www.echigo-tsumari.jp/

その小学生たちに、清水先生が「生きていくということはどういうことなのか」という話をした。「生きていく」ことと、「生きている」ことは、実は全然違うことなんだよね。未来に向かってどのように「生きていくか」ということは、すごく重要。そうした「生命の哲学」を、小学生に対して話したわけです。
目の前に問題が起こったときに、人は能動的に「生きていく」状態になっていくということ。問題によって生かされるということがある、ということなんだよね。

今のエピソードで言うと、「泳げないと溺れてしまう」という問題がやってきたときに、初めてどうしたらいいかを考えるということがある。

そのときに、今の日本には「問題があることは実はいいことなんだ」という発想の転換は、実はすごく必要なことなんじゃないか、というふうに改めて思ったんですよ。

さらに話は続き、問題にも種類がある、という話になる。
「問題にもふたつの種類がある」と。

ひとつは、すぐに答えの出る問題=すぐに解決しなくてはいけない問題がある。もうひとつは、すぐには答えが出ない問題=長い時間をかけて取り組むべき問題がある。

しかし一方で、本当に足の長いことに取り組まないと、本当は人は「生きていく」ということができないんだよね。

人が成長するときのきっかけに「内発性」の問題が出てくると思うわけ。きっかけというのは、つまり「生きている」という状態が「生きていく」というところにモードチェンジするときの何か、だよね。――それを“発芽”させるには、どうしたらいいんだろう? 
言葉で言うと陳腐だけど、それは本当にケースバイケースだと思う。地域で町おこしをしようとしたときに、「いや、すでにこういうメソッドがあるんです」「こういうソリューションがあるんです」って持っていったら、絶対失敗する。「こうやったら大丈夫です」という方法は、その地域によって違うからね。

個人の成長も同じで、そのひと個人の成長って、その人にしか適用できないものがあるから、実際にその人を見て感じながら考えないといけない。

人は、生きていく過程で必ず何らかのトラウマを感じたり、不幸な境遇にあったりすると思う。自分の中で、納得できなかったり、曲げようがなくなった気持ち(信念という@養老孟司)を持つ。それをずっと抱きしめることで、人は「生きていける」。そんなことを言っている気がした。

デジタル・ネイティブなんていない?

デジタルネイティブなんていない?という題名のとても興味深い記事がったので、ここに掲載しておく。

デジタルネイティブとは、2008年くらいに言われていた言葉だそうで、要するに、生まれた時からネットがあった時代を生きてきた若者のことで、リアルとネットを区別しない、ネットを利用したネットワークの構築にたけている、属性や性別を気にしない、などの特徴があるとされた。(今は、こんなこと言う人いませんよね。だいたい、デジタルネイティブとのネーミングがちょっとさむいと感じるのは僕だけだろうか)
まあ、よく言われる若者論ってやつである。日ごろから、メディアや識者が唱える若者像には、違和感があり、それこそ『この人、言ってることさむいな~』と感じる時があった。そんな気持ちをブログの筆者は大変上手に代弁してくれたので、ここに再掲したのである。

さあ、私が筆者の優れていると思った箇所を引用しよう。
『これまで若者論での若者像は常に「一部の若者を取り上げ、それを無根拠に普遍化=全体化する」というやり方で展開されてきた。そして、取り上げられる若者を一言で示してしまうと「偏差値60以上の若者」ということになる。もう少し丁寧に説明すると「大都市圏にある偏差値60以上の大学に所属している文系男子大学生」のうち「より行動が活発でコミュニケーション能力が高い若者」というマイノリティとなる。
こうなってしまうのは、要するに若者論を展開する論者の多くが首都圏の高偏差値系大学に籍を置く「大学教員」であるからというところにある。』

まさしくそう。笑 私は東京に住んでないし、偏差値も60なんてない普通の学生である。その私からすると、若者論というやつは、全然親近感がわかないものなのだ。
で、なんでそうなるかというと、すごく簡単で『そうすることで儲ける人がいるから』となる。流行も一緒ですよね。マーケットの視点で考えると、文化の中心地は東京になるし、(消費の人口も多いから)上層の一部を取り上げることで、『やばい、俺も何とかしなくちゃ』みたいな人も増えるから、大都市圏の偏差値60以上のが学生を取り上げるのが極めて有効となる。

しかし、本当の流行は、メーカーや論者が作るのではなくユーザーが作るものだ。今で言うと、LINEがヒットしているのは、そのせいだろうと筆者は書く。限られた機能をシンプルに使う、そうした普通の若者の姿を想像できたのが、iPhoneであり、Lineだったのだ。
iPhone登場前にも、SymbianやBlackberryといったスマホ向けのOSが存在したらしいが、これらはマニア向けであったようだ。まあ、昔はホームページを作ってたけど、今はブログになったのと一緒だと思う。普通の人でもできるような簡単でシンプルなのが受けるということだろう。

『シンプルにガンガン使う消費性』と『身内コミュニケーション』の2つが、ヒットのカギなのかもしれない。

夜型、朝型は遺伝子で決まる?

興味深い記事がったので、貼り付けておきます。
http://susumu-akashi.com/2013/06/%E5%A4%9C%E5%9E%8B/

また、ほかの方のブログより引用しておきます。
http://drpetm.tumblr.com/post/550839853
●眠りの遺伝子の発見

今まで「夜型」「朝型」は変えられると、
一般的には考えられてきました。

朝起きられない人は、怠け者だと思われ、
夜遊びしない人はつまらない人に
見えることも少なくはありませんでした。

しかし2001年、
その考えが科学的に覆されました。

ユタ大学の研究者が行った研究で
午後7時に就寝して、午前4時に起きるという
生活スタイルを選択している人にだけ
hPer2という眠りの遺伝子が発見されたのです。

この発見によって、
眠りの条件や環境よりも、
この遺伝子が人間の眠りに影響を与えていることが
明らかになりました。

眠りと遺伝子が関連しているという事実は
さらに2003年にも証明されます。

イギリスの科学者が、
人間の体内時計の統制に影響を与えている
Period3という遺伝子を発見。
朝型の人は、この遺伝子が長く、
夜型の人はこの遺伝子が短いことが分かりました。

そして2009年、ユタ大学の研究チームが再び、
短時間しか眠らない人たちの中に
DEC2という遺伝子を発見しました。
この遺伝子を持っている人は、
1日6~6.6時間の睡眠時間で十分だと答えていました。

眠りのパターンに影響を及ぼす遺伝子が
次々と発見されています。

これらの情報のみから、『朝方・夜型はすべては遺伝子できまる』と断言はできなものの、私たちが思う以上にその関連は強いと言えそうである。うつ病と一緒で、あれは病気だから医者に行きなさい、と言われる時代が来るかもしれない。そうなればいいと思う。私自身、朝起きるのが苦手で相当親に怒られた覚えがあるからだ。悪しき根性論はなくなってほしい、まあ僕の場合はたぶんそこまで症状は深刻ではなく、甘えなのかもしれないけど(笑)

水曜どうでしょうと大学の思い出。

巣用
みなさん、『水曜どうでしょう』って知ってますか?大泉洋の出世作、北海道放送制作のローカル番組でありながら全国的に人気となったモンスター(笑)番組です。
サイコロの旅、原付日本制覇など名物企画満載でしたね。
実は、私も大学生だったころ、「水曜どうでしょう」に影響されていろんなところを旅しました。中でも記憶しているのは、四国1周。(まんま、パクってるじゃんと思われた方は正解です)番組では、四国48か所めぐりという企画をやっていました。お遍路をしながら四国の48か所を巡ろうというものです。それに完全に影響を受けたわけですね。
正確な記録を残しておけばよかったと今更公開しているのですが大体の旅路は以下の通りです。
新潟→徳島→高知→愛媛→香川→京都→兵庫(城崎温泉)→新潟とまわりまして、全部で5泊6日。、1週間弱に渡る旅行でした。よほど時間が余っていたのでしょうね(笑)新潟から徳島までが14時間くらいかかったものと記憶しています。ETCの深夜料金を狙って、朝の9時ごろ出発し徳島に24時過ぎに到着する予定でした。が、大阪(なのかな?)のジャンクションで四国へ向かうルートを選ぶときに誤って降りてしまったのです(笑)。なので、深夜料金で安く行こう!というプランは早くも水の泡となったのでした。で、徳島に深夜ついてカプセルホテルに一泊。初カプセルホテルでした。男しかいなくて、寝るところは小学校のロッカーのでかい版。みたいな感じです。
翌日は、朝出発し、高知に向かいました。徳島ラーメン,鳴門海峡,かずら橋,桂浜,沈下橋,四万十川を満喫しました。ちょっと写真を載せておきます。
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四万十川はそれはそれは雄大で、日本一の清流だというのも頷くことができました。ただ、四万十にそって愛媛まで向かうルートは酷道(笑)。僕は、運転しなかったのですが、あれはやでしたね、乗ってるだけでも。対抗車両来たらアウトだぞっていう場面がいっぱいありましたから。途中、ガス欠になりかけました。ガソスタがまたないんですね。いよいよJAF呼ぶか、ってなった時にようやく見つかりましたが、そこに面白いオッチャンがいたんですよ。ふつう、店員さんって車をタオルで拭いてくれるじゃないですか。その人、僕に『あい、にいちゃん』ってタオル投げてきましたから。俺、なんでこんなことやってんだろうって。でも助かりました、何とか窮地を出しいた僕らは愛媛に到着できたわけです。(僕らはガソスタ事件ってよんでました、バカですね)で、道後温泉ですよ。
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坊ちゃんで有名な道後温泉、千と千尋の道後温泉。楽しかったですね~。
これで2日目が終了でした。徳島から一気に愛媛まで来たわけです。

3日目は、愛媛から香川を経由して京都に行きました。
香川ではうどんを食べたくらいですね、で、瀬戸大橋を渡って京都に行き、1泊しました。夜は、京大や同志社大に連れてってもらいました。ほかの大学を見るってのも結構楽しいものです。一緒に言ったセンパイの実家が京都で夜のドライブ、いろいろ案内してもらったんですよ。

4日目は、新潟から予行バスで来た友達と合流し、京都を観光。嵐山で人力車に乗りました。結構お金がかかってひやひやでした。なんせ、1日1万ペースで金使ってましたからね。学生にとっては1万なんて大金です。まあ、旅行ハイというか、気分がおかしくなってました。めしは基本、1000円以上のを食うみたいなルールができて。夕方には京都を出て城崎温泉に向かいました。実は当時、旅の企画はすべてセンパイがしてくれて僕ともう一人はただ車にのってるだけだったんですね。(よく通用したな)で、『城崎なんて近くやで』とかいうもんだから、安心してたんですけど、地図で見ると結構離れてますよね。だって、兵庫県だもん。4時間くらいかかるっての。このセンパイ時々おかしな発想をする人で、こんなことはざらにありました、僕らも慣れてたんですね。やっとの思いで城崎に着いて、温泉に入って一泊。

5日目は、城崎から新潟に戻りました。途中、日本3景の一つ天橋立に行きました。まあ、大したことなかったです、個人的には。ただの砂道って言うのは言いすぎか(笑)朝城崎を出て、新潟には10時ごろ到着したと思います。10時間くらいかかったはず。(笑)

いや~、こんなことやってたんだと思うとなんか我ながら感慨深いです。大学生っていい身分ですよね、万が一まだ高校生の人がこのブログ読んでくれてたら、大学生って楽だよと伝えたいですね。たぶん、金さえあれば『夢のような時間』のはずです。ただ休みがあまりに長いため、ほとんどの人が飽きます、それくらいヒマなんです。
僕のこの旅行もちょうど成人祝いをもらったことで、ほとんどバイトをせずに行くことができたんでした。いや~あれほど楽な身分ってなかなかないですよね。もし、これ読んでくれてる人がいたら必ず同意してくれると思います。ただ、楽すぎてつまらないってことはありますね。責任もないし、かといってなにか活動するほど多くの学生はアクティブじゃないし。せいぜい、デートするとか、旅行に行くとか、バイトするとか、そのくらいですよ。私は田舎の大学に通っていたので、特にでした。まあ、都会の大学生でも事情はあまり変わらないんでしょうけど、車がないと遊びにいけないですからね。これは、痛かったです。(笑)
でもこうして、長旅なんかができていい身分でした。まったく。
最後に、旅路を貼っておきます。

白夜行、幻夜

び

東野圭吾著、『白夜行』および『幻夜』を読了。
この2つ、特に白夜行は、数ある東野作品の中でも代表作としてファンに絶大な人気を誇っていることは知ってた。が、今まで読んだことがなかった。理由は簡単、書店で見かけたときに『ひぇー、分厚いなぁ~』と思ってしまったからである。それ以来、ずっと敬遠していた。読み切れるだろうか、と。途中で飽きないだろうか、と。
どうやらその不安は杞憂であったようである。どちらも、ページをめくる手が止まらなかった。
 実は、『白夜行』に関していうと、最初はちょっと退屈だった。以下、ネタバレになるかもしれない。
冒頭は、大阪で起きた質屋殺しの事件が紹介され、真犯人は迷宮入りしたことが書かれている。事件自体は地味なのである。別にどうということもない、これがどう進展していくのか。そう思ったくらいである。しかしそこにこそ、東野氏の思惑があったとも考えられる。一見地味に思える事件の裏には、実は何があったのか。それを19年の長い年月をかけ、読者の前で披露する。被害者の息子ー桐原亮司と容疑者の娘-唐沢雪穂という2人の人物の成長とともに。2人の周りでは奇妙な事件が多発することになるのだが、そこにあまり謎解きの要素はない。2人の心の闇、その深さを強調するのみである。あの事件は2人をなぜ変えたのか。それが読者の中でふつふつと湧いてくる。それが、物語の終盤になるにつれ徐々に明らかにされていく。桐原殺しの真犯人は誰であったのか、なぜ桐原は殺されねばならなかったのか。桐原亮司と唐沢雪穂。2人は何者なのか。それが分かった時は、背筋がゾクっとした。正確にいうと、今もゾクっとする。それくらい、ある意味で本作は怖い。解説にも書かれているように、東野氏の生まれは大阪である。東京と並ぶ大都会、大阪。その光と闇の両方を作者は経験していたに違いないと思うのだ。でなければ、こうした作品は書けないだろう。

『幻夜』は白夜行に続いた作品となっている。が、そのつながりは読者には巧妙に隠されており、白夜行を読んでいない人でも十分楽しめるつくりになっている。本作は、阪神・淡路大震災が始まりだ。震災の最中、衝動的に人を殺してしまった男-水原雅也とそれを目撃した女-深海美冬。男と女は運命を誓い合い、2人で生きていくことを決意する。男は女の言われるまま、次々と犯罪に加担していき…。というのが、『幻夜』のあらすじだ。深海美冬は何者なのか。それが分かった時は、うれしかった。ただ、ミステリ-として、謎解きとして面白さを追求する人には白夜行のほうがおすすめかもしれない。なにしろ、背筋のゾクっと感がちがう。

しかし作者の頭の中はどうなっているのか、と私は思う。どちらも、『読者が読んで謎を解く』タイプのものではない。その比重は少ない。しかし、これだけの長編をつじつまを合わせて書き上げるのは至難の業であるはずだ。作者の頭の中をのぞいてみたい、と思ってしまう。そして作者は、人間の闇を知っているともいえるだろう。それが、境遇など成長する過程の中で培われたものなのか、人の数倍想像力や探求心があるものなのかは知らない。たぶん、どちらもなのだろうが、よくもまあ、こんな動機を思いつくもんだ!と感嘆させられた(特に白夜行。あれじゃあ、ドラマ化(?)されるわな。きっと、今更?話題遅くね?って思われるな)
とまあ、2つともかなり面白いことは間違いがないです。ただ長編なので、そこは心してまだ読んでない人は読んでみてください。
げ







経済学のおさらい『ローレンツ曲線とジニ係数』

無題2

官製ワーキングプア

『官製ワーキングプア』という言葉がある。今や、20代の2人に1人が非正規雇用者という時代であり、その分雇用の安定した公民を志望する学生が増えているのは周知の事実である。
が、公務員=安定という図式は必ずしも当てはまらないことを学ぶことができた。実は、自治体職員や保育士、教員などの世界で非正規労働者がこの10年間ほどで急増しているのだ。やはり、小泉構造改革に端を発した『公務員の民営化』『市場主義』などがその要因であろう。
今挙げた仕事の中では、保育士が圧倒的に非正規労働者の割合が高いようだが、自治体によってはその半数以上を非正規でまかなっているところもあるという。(動画では、東京の自治体が紹介されていた。)http://www.youtube.com/watch?v=uL7FmgQgOtI

学校の先生でも、非正規の割合は高まっており、公立高校全体ではおよそ2割が非常勤講師で、定時制高校に限っていうなら、3割が非常勤講師だという。(非常勤と臨時は違う。非常勤のほうがより待遇が悪い)
サンデー毎日より詳細をまとめておく。
『学校もブラック化している』
非常勤<臨時<正規 の構図
非常勤…ほかの学校やバイトと兼務。ボーナス、昇給なし。公立高校全体では、約2割、定時制高校では約3割が非常勤。(定時制は、時間が不規則で指導も大変なため皆がやりたがらない)(文部科学省の調査)
これから人口が減る中で、正規を取るわけにはいかない→雇用の調達弁
臨時…1年ごとに更新される非正規。*国に統計がないため、正確な値が出せない。非常勤と同程度か。
正規に比べると、ボーナス、昇給が低い。生涯賃金で5000万ほど低い。

以上のように、公務員=安定というのは、あくまでも正規職員に限った話であり、(それすら実は怪しい。これから公務員の待遇は厳しいものとなるだろう)これだけ非正規職員が多い現状ではその考えは当てはまらないことが分かった。ちなみに、公務員は民間に比べて給料をもらいすぎているという批判がよくあるが、あれも簡単な数字のトリックによるものである。公務員の場合は正規職員に限定して算出しているが、民間の場合は非正規職員も合わせて算出しているため、公務員のほうが給料がいいように見えるだけなのである。
http://nensyu-labo.com/2nd_koumu_tihou.htm


官製

クローズアップ現代『違法ハウス』

NHKクローズアップ現代にて、違法ハウスについて知った。違法ハウスとは、貸しオフィスなどと偽りながら人をすませている物件のことで、都内には多くあるらしい。消防法や建築基準法を守っていない点から、違法であるらしい。
だからこそ、敷金礼金0や保証人なしが実現できるのだという。

考えてみれば、仕事を探すにも選挙の投票用紙を得るにも住所が必須である。つまり、住所、住宅は社会へのパスポートだと言える。しかし、仕事がなくて地方から上京した人や都内で非正規雇用者として働いていて、契約を打ち切られた人などが、敷金礼金および保証人をよういできるはずがない。そういう人々にとっては、違法ハウスは渡りに船だと言えるのだろう。テレビで見た限りでは、大人一人が暮らすにはかなり苦痛を強いられるような狭さである。しかしああいう場所にしか暮らせない人がいると考えると、胸が痛くなる。

日本では、住宅や年金などを企業福祉に頼ってきた現状がある。今や、20代の2人に1人が非正規雇用者という時代だ。時代に合わなくなってきている、としか言いようがない。詳しく調べたわけではないが、公営住宅(団地)などは倍率が50~100倍であるというし、半月~1年ほど決定してからも待たなくてはならないのだそう。「住居」に関して、国が本格的に対策に乗り出す時が来ているのかもしれない。黒





グローバリズムとナショナリズムが同居する理由 

内田

思想家の内田樹氏のブログである『内田樹の研究室』に興味深い記事があった。
グローバリズムとナショナリズム。この2つが、今の日本を支配するイデオロギーであることは、もはや明確である。
自民党の安倍総裁、今では勢いを落としてしまったものの日本維新の会の橋下、石原代表。今挙げた人たちに共通することは、グローバリズムとナショナリズムを強烈に主張する、そのことだろう。

さて、私は一見相容れない『グローバリズム』と『ナショナリズム』が同居する現状、同じ語り口で語られることに前から疑問を思っていた。なぜだろう、と。
それを内田氏が解説してくれていたのである。
以下は引用。

その後、2012年末の総選挙で安倍自民党が圧勝し、「維新の会」が54人の衆院議員を送り出し、グローバリズムとナショナリズムの混淆態が現代日本における「支配的なイデオロギー」になりつつあるという趨向がはっきりしてきました。
今、私たちの時代はグローバリズムの時代です。世界は急速にフラット化し、国民国家のもろもろの「障壁」(国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣などなど)が融解し、商品、資本、人間、情報があらゆる「ボーダー」を通り越して、超高速で自由自在に行き来しています。
国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。
医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。これらの制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。怪我をしたり、病気をしたり、老いたり、幼かったり、無知であったり、自分の力では自分を守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする人をデフォルトとして、そのような人たちが自尊感情を持ち、文化的で快適な生活を営めるように気づかうための制度です。ですから、これらの制度は「弱者ベース」で設計されています。当然、それで「儲かる」ということは本質的にありえません。
でも、この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で非効率的だと誹るものでした。
できるだけ民営化して、それで金が儲かるシステムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられない制度は「市場のニーズ」がないのであるから、淘汰されるべきだ、と。  
社会制度の適否の判断は「市場に委ねるべきだ」というこの考え方には、政治家も財界人もメディアも賛同しました。社会制度を「弱者ベース」から「強者ベース」に書き替える動きに多くの国民が喜々として同意署名したのです。  
それがとりあえず日本における「グローバル化」の実質だったと思います。社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し、すべてを「市場」に委ねようとする。
人々はそれが自分たちの等身大の生活にどういう影響を及ぼすのかを想像しないままに、「資本、商品、人間、情報があらゆるローカルな障壁を乗り越えて、超高速で全世界を飛び交う状態」こそが人類がめざすべき究極の理想だと信じ込んでいます。
これは「地に根づいた」生き方のちょうど正反対のものです。
国民を守る制度はどれも「急激に変化しない」ように設計されています。
http://blog.tatsuru.com/2013/06/07_1610.php

グローバリストはナショナリズムを実に巧妙に利用しています。彼らがよく使うのは「どうすれば日本は勝てるか?」という問いですが、これは具体的には「どうすれば日本の企業が世界市場のトップシェアを取れるか?」ということを意味しています。
でも、ここにトリックがあります。ここで言われる「日本企業」は実は本質的に無国籍だということです。
「それでは日本が勝てない」という言い分で、国民的資源を私企業の収益に付け替えているのです。でも、製造コストが上がるという理由だけで日本を出て行くと公言する企業を「日本企業」と呼ぶことに僕は同意できません。
中国や韓国の企業との競争で「日本企業」を勝たせるためなら、原発再稼働も受け容れる、消費増税も受け容れる、TPPによる農林水産業の壊滅も受け容れる、最低賃金制度の廃止も受け容れる・・・この「可憐」なナショナリズムほどグローバル企業にとって好都合なものはありません。
実際には、これらの「日本企業」は日本に雇用を生み出してもいないし、地元に収益を「トリクルダウン」してもいないし、国庫に法人税を納めてもいない。
でも、そんな無国籍企業でも「日本企業」を名乗ると、惜しみなく国富が投じられる。国富の私企業への移し替えを正当化するためにナショナリズムが活用されているのです。

国民国家とは、『弱者ベース』で設計されたもので、グローバリズムとは本来相容れない。
国民国家の解体に、最も割を食う「弱者」自身が嬉々として従ってきた。
グローバリストは、私益のために『ナショナリズム』を利用している。それで救われるのは、一部の上層だけなのに、多くの国民はそれに気づいていない。以上が、内田氏の主張であると思う。


伊坂幸太郎『重力ピエロ』

重力ピエロ


「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」本書の中で、登場するセリフである。
このセリフが、この物語の根幹を表しているといっていい。おそらく、伊坂幸太郎にとって最も書きたい1行はこれではなかったか、そう私は推測する。そして、もっとも伝えたいメッセージで、1つの小説を書ききるというとてつもない偉業に作者は成功したのだ。

本書には、とてつもなく重いテーマがある。それは少年犯罪、レイプである。この小説が発表された当時は、少年犯罪がにわかに注目を集めた時期であった。光市の母子殺害事件などは、私の記憶にも強烈に残っている。
少年法の不備、被害者の人権無視など、少年犯罪には、答えのない問が山積みだ。どんなに話し合っても解決することがないだけに、ともすれば、口を紡ぐ態度を多くに人がとるようになるだろう。われ関せず、私は知らないよ、と。

しかし作者は違う。たとえ、答えのない問いであっても自分の頭でしっかり考えることが重要であると説き、それを実践して見せた。この姿勢には、どんなに敬意を払ってもたりないのではないか。
伊坂作品を思い浮かべると、スタイリッシュ、軽妙、ユーモア、エンターテイメントなどの言葉が浮かぶ。しかしその背後にあるメッセージや作者の思想は強靭そのものである。伊坂氏は音楽や映画が好きで、よく引用される。音楽では、ジャズとパンクが好きだという。ジャズとパンク。そう、伊坂作品にはジャズとパンクのように、読者の心を躍らせ、リラックスさせるとともに、読む者の魂を揺さぶる愚直なメッセージも存在しているのだ。

さて、私のお気に入りの箇所をいくつか記しておこう。
「人生は、1箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しいが、重大に扱わなければ危険である。」これは芥川龍之介の小説からの引用で、己の出生と境遇になやむ主人公、春の心情を見事にあらわしている。
「俺は社会よりも、俺の家族のほうが大事なんだ」「ひどい人間だ」「その通りだ」これは、主人公、泉水と父の間で交わされるやり取りである。法律や道徳などと社会の上段から放たれる正論を丸呑みする人を伊坂氏はよく思わない。それは本当に自分で考えた結果で自分の意思なのかと読者に問いかける。自分にも問いかけているに違いない。だって、人は、矛盾しているものでしょ、と。
「ペニスの味わう、たった9秒の絶頂感が、子に60年の苦痛を強いる」ギャスパー・ノエという監督の映画作品らしい。この作者は、どこでそんなの知ったんだ?と思うくらい物知りに思える。
「お前は、俺に隠れて、大事なことをやった。そうだろ?」「お前は俺に似て、嘘が下手だ」放火、殺人を犯した春に対して病室の父が言う言葉。遺伝、血のつながり、そいったものを父は軽々と飛び越えてしまったと泉水が思うように、父の言葉は深く強く温かい。「お前は俺に似て、嘘が下手だ」泣けてくる。

芥川龍之介『遺書』

青空文庫で、芥川龍之介の『遺書』が掲載されていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/16034_33783.html

その中で、特に印象に残った一文を一つ。
人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。

ブラック企業 今野春樹

ブラック

同じ著者の「ブラック企業に負けない」(旬報社)を就職活動中に読んだことがあり、大変勉強になったので、本書を手に取りました。
本書のほうが、ブラック企業について体系的にまとめられている分、中身も分厚いです。その分、なんの前提知識もない人には少し難しいような気もしますが、著者の筆力はさすがで私たち一般の人にも「なんとかわかってほしい」という気持ちが伝わってきます。

本書を読み、私が衝撃を受けた箇所を記しておきます。
『労働基準法では、1日8時間・週40時間を労働時間の上限とするように定められている。ところが、労働基準法36条に基づく36(サブロク)協定を労使間でかわすと、この制限を取り払うことができる。一応、36協定で延長してもよい労働時間にも上限が設けられている。しかし、この上限時間は法律上明記された義務ではない。(95頁)』

つまり、原則的には青天井でいくらでも労働者を働かせることができるのです。それが日本の法律なのです。それを示す記述が次頁に記載されている。

『厚生労働省の定める「過労死ライン」によると月に80時間以上の残業をしていると生理的に必要な睡眠時間を確保することができないとされる。しかしこのラインをオーバーする働かせ方をしても、違法にはならないのが日本の法律なのだ。東京新聞が行った調査では、東証1部上場の売り上げ上位100社のうち、約7割が過労死ラインを超える36協定を提出していた。(96頁)』

つまり、日本の大企業のほとんどで、過労死ラインを超える働かせ方をしている可能性が高い、ということです。大企業は、その見返りとして終身雇用や年功序列賃金があるわけだが、ブラック企業にはそれがない。まさに、絞れるだけ絞ってあとはポイ、というのがブラックの態度だといえるだろう。

この本は、ブラック企業に留まらず、日本の働き方、労働のありかたそのものに警鐘を鳴らす。著者は、一部の経営者や政治家など、既得権益をむさぼる人たちから相当な圧力を受けていることだろう。それに屈せず頑張ってほしい。若者の一人として私も応援しています。

太宰治『晩年』

晩年

毎年、夏になると各出版社で本を売り出そうと芸能人や文化人オススメの本を紹介することがある。新潮文庫の100冊という企画で、爆笑問題の太田光が太宰治『晩年』について、お気に入りの1行を紹介している。

「死のうと思っていた」
これが太田の1行。「晩年」は、太宰の処女作であり、短編集である。中でも有名なのが、「葉」と題された短編で、その書き出しがこれ。

「えらばれてあることの
恍惚こうこつと不安と
二つわれにあり
         ヴェルレエヌ

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」

この冒頭は有名である。太宰の小説は、その1行目から読者をグッとひきつける何かがあると内田樹氏が以前語っていた。「死のうと思っていた」この書き出しは確かにすごい。アクセルの加速度が違う、そんな感じがする。

実は、私が好きな1行は終盤にある。物語の最後はこう締めくくられる。

生活。

 よい仕事をしたあとで
 一杯のお茶をすする
 お茶のあぶくに
 きれいな私の顔が
 いくつもいくつも
 うつっているのさ

 どうにか、なる。


太宰治は暗い人。そういうイメージが強い。しかし太宰は本当は強く、楽しい人だったのではないか。もっと言えば、人を楽しませるのが好きな人だったのではないか。作品を少しでも読んだことのある人はそう思うはずだ。この1行には、太宰のそうした1面がにじみ出ていると思う。
毎日、日々を一生懸命生きていこうとする太宰の姿が見えてこないだろうか。私自身、この言葉にかなり勇気をもらったことがある。どうにか、なる。こう書くと本当にどうにかなる、そんな気がしてくるから不思議だ。

ブラック企業ワタミを公認する自民党

『若者の雇用を何とかしたい』『日本を明るい国に』
口ではいくらきれいごとを言おうとも、本性はバレる。自民党がワタミ元会長、渡邊氏を公認した時に私が思った感想である。つい最近までは、渡邊氏には関心がなかった。しかし、『ブラック企業』という言葉が市民権を持ち、自分が就職活動を行う中で、渡邊氏的なもの、『自分の夢ばかり叫び、自分は絶対に正しい』と信じ込んでいるような独善的な人間はどうも好きになれないと思うようになった。
同じころ、今野春樹氏の『ブラック企業に負けない』という本を読んだことで、2008年、ワタミの従業員であった当時26歳の森さんという若い女性の方が自殺していたことを知った。その後、この自殺は労災と認められ、長時間労働がその原因であったといわれている。明日は我が身、とはよく言ったもので子に国に生きる若者の一人として森さんの死は他人ごとではない。いや、こういうと遺族の方には失礼かもしれない。何も知らないやつが何を言っているんだ、と。子供を失った遺族の苦しみは、当事者にしかわからないものがあると思う。労災と認定されたにもかかわらず、渡邊氏はツイッターで『労務管理で問題があったとの認識はない』と発言したそうだ。恥知らず、バカとはこういう人のことを言うのか、と思った。労働局が労災といったのだから、労災である。小学生でもわかるだろう。遺族の方との面会も拒絶し、いまだに説明責任を果たしてはいない。

そんな人に国会議員になる資格があるのか?すぐに答えは出そうである。
6月28日に遺族は、渡邊氏の公認取り下げを訴えに、自民党本部まで出向いた。が、責任者は一人も出てこず、建物の中にも入れてもらえないという杜撰な対応をされた。

以下が、その動画である。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1852
これを見て、人々は何を感じるのか。私は、この事件に直接かかわったわけではない。ワタミを利用したこともない。しかしそれでも、憤りを感じた。自民党の対応に、また、この事実がマスコミによって報道されなかったことに対して…。

砂漠

突然だが、伊坂幸太郎氏の『砂漠』を思い出した。
主人公は熱血漢の西島。「俺たちは砂漠に雪を降らすことだってできる」「どうしてアメリカの暴動をだれも止めないんですか」こう言っては、周りの友達にバカにされるようなやつ。正義感があり、正しいんだけど、ちょっとイタい。そういうやつっているでしょ。
その西島に友達の北村が「街頭演説とかすればいいじゃないか」と言い、「それはダメなんだ」と答えるシーンがある。その後、会話はこう続く。

「三島由紀夫は自分の腹を切ってまで何かを伝えようとしましたよね?でも伝わらなかった。一人の人間が本気で伝えたいことも伝わらない。三島由紀夫を見て、バカって一刀両断した奴もね、心のどこかでは自分が本気を出せば言いたいことが伝わるんだって思ってるはずなんです。インターネットで意見を発信している奴もね、大新聞で偉そうな記事を書いている奴だって、テレビ番組を作っている人や小説を書いている人だってね、やろうと思えば本心を伝えられるはずだって思ってるんですよ。今は本気出してないだけで、その気になれば、理解を得られるはずだって。でもね、三島由紀夫でも無理だったのに、腹を切る覚悟があっても無理だったのに、あんなところで拡声器で叫んでみても無理なんですよ。

遺族の方の動画を見た時に、小説のこの部分を思い出したのである。あれだけ苦しんでいる人の声も届かない。自分たちに都合の悪い情報はマスコミは報道しない。でもだからこそ、私たち一人一人が声を上げていかなくてはいけない。今のままでは、自民党はクソだ。渡邊氏もクソだ。何らかの形でけじめをつけてほしい。










人材派遣業の歴史(備忘録なんで、かなりおおざっぱです)

人材派遣業
そもそもは、職業安定法に違反しているとの考えがあった。→労働者派遣法と労働者派遣事業法を制定→<当初の目的>人材派遣を認可&派遣労働者の保護

労働者派遣法…1986年より施行された。当初は、労働者を派遣できる業務は専門性の高い13業務に限っていたが、法改正により26業務に拡大され、1999年には原則的に自由化された。さらに2003年に以下の点が改正され、2004年3月より施行されている。 ・物の製造現場や、福祉施設での医療関係業務への派遣が解禁された。 ・原則として最長1年とされている期間制限が最長3年に緩和された。
つまり、業務・期間ともに規制緩和が続いてきたってこと。

労働者派遣事業法…人材派遣業が生まれてきたが,職業安定法によって労働者供給事業が禁止され,業務請負の形態のみが可能であった。しかしそれには厳格な要件が課せられていた。そこで,一定範囲の人材派遣業を法律で認めて派遣労働者の保護を図るために,1985年に労働者派遣事業法が制定された。
人材派遣業を合法にするため、この法律が策定された。
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写真は、江口寿史の作品です。こういうコにあこがれちゃいます笑

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