戊辰戦争と原発

以前、内田樹氏の『内田樹の研究室』の中で、原発のほとんどが戊辰戦争で負けた側(旧幕府軍)に点在しているとの記述があった。
http://blog.tatsuru.com/2013/04/22_0928.php

今回は、それについて自分なりに調べたことをまとめておく。
『原発の多くが、戊辰戦争で分けた側に存在する』この事実は、どうやら正しいようだ。(私は知らなかったけど、けっこう常識なのかな?)

例を挙げよう。
福島県の第一・第二原発と浪江・小高原発(計画中)は場所が少しずれるとは言え戊辰戦争の中心藩=会津藩の近くだ。宮城県の女川原発は奥羽越列藩同盟の「大国」である仙台藩。青森県下北半島の大間(建設中)、東通(東電、東北)、六ヶ所村再処理工場の近くには斗南藩が存在した。斗南藩は会津藩領の没収をうけた松平家が移封先として立てた藩。ここも福島県同様、原発施設が集中している。
 ついでながら今回の地震と連動して起きた長野県北部・新潟県中越ではどうか。柏崎刈羽原発のある柏崎市は、場所的には奥羽越列藩同盟に加盟した長岡藩に近く、さらに桑名藩の飛地でもあり、松平定敬(会津藩主・松平容保の弟)が本藩の帰順決定に抗して最後の抵抗をした場所である。
 東北・新潟以外の地ではどうか。日本で最初の商用原子炉を稼動させた茨城県の東海村は、徳川御三家の一つで最後の将軍・徳川慶喜を生んだ水戸藩。静岡県の浜岡原発は天領(旧幕府直轄地)。さらに先ブログの記述をたどると、石川県の志賀原発は大政奉還の時に徳川慶喜を支持した加賀藩、西の原発銀座である若狭湾がある福井県の敦賀藩は佐幕派(維新前年に新政府軍に恭順)、鹿児島県の川内原発は西南戦争で敗北した薩摩藩、と続く。
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/2011/758/bosin-datugen.html)

戊辰戦争の負けた側に原発の多くが立地しているのは、ストレートな結び付きというより、原発立地の条件とされる「過疎地」が戊辰戦争に敗れた側の地に多い、という関係なのであろう。

明治政府は、新しい国を作る際に旧幕府軍に有形無形の差別をしたはずである。それを象徴的にあらわしたのが、「白河以北一山百文」(しらかわいほくひとやまひゃくもん)との言葉である。東北の土地なんて、価値がない、タダ同然。この言葉はそう主張している。「後進地東北」においては、昭和初期には凶作により農村地帯から娘が売られ、若者は次々に軍隊に取られて多くが戦死した。戦後も集団就職によって人材を都会に奪われ農村・漁村は疲弊し過疎化が進んだ。その「過疎地」に対して、狙いすましたように原発が電源交付金付きで侵略し、大都会の電源植民地にしてしまったのだ。

さて、以上のようにまとめてみて、思ったのは、『戦争は怖い』ということである。私は、なんの罪もない人が死ぬことが戦争の怖さだと思っていた。それはもちろんである。しかし今回わかったのは、戦争とは、その後の国の未来を決定してしまう作用があることだ。だから、世界の標準語は、英語になったし、原発の立地は、戊辰戦争の分けた側になった。どんなに頑張っても勝てないような、浮かばれないような仕組みを作ることができる。それが戦争に勝った側の特権なのだ。このことは、忘れないでおこうと思った。
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