重松清、疾走

し

素晴らしい小説は、常に読者を超えていて、その時だけでは絶対に味わい尽くすことができない。読者の成長を温かく待っていてくれる
『疾走』を読んだ感想である。。
やっぱり私は人生に前向きな人が好きだ、と思う。
人生に前向きでいられるのか、そうでないのか。
その違いはどこかえら生まれるのだろう?と考えた。
この小説の中では、神父が強く、人生に前向きな人物として描かれている。
例えば、こんなセリフ。『お金で取り戻すことができないものを奪われてしまうほど、悲しいことはありません」『例えば、記憶。嫌な思い出というものはありません。思い出はすべて大切なものです。いとおしいものです。かけがえのないものなのです。』

過去は動かしようがない。そうなってしまったものは仕方がない。で、あるならば、それがよかったと思えるように残りの人生を動かしていく、それがたいせつなんだ。そう覚悟する気持ちが伝わってくる。

またはこんなセリフ。『人を殺す時は、自分も殺してるんだって。』
人を嫌うときは、自分も嫌っている。人を憎むときは自分も憎んでいる。そういうことだ、それは忘れないでおこうと思った。

昔読んだ本の一説を思い出した。
「だれであれ、気づいたら生まれていた」。どういうわけか、知る由もないが、その世界に私は後から参加させられる。だからこそ人は、生涯にわたって、世界を学んでいくしかない。それこそが、人生そのものではないか。@養老孟司』
こんな言葉を言える人がどれほど言えるだろう。
生半可な体験をした人でないとこの言葉は、言葉遊びになってしまう。そこから先は、自分次第、ということか。

『疾走』でも、同じことが言えると思う。ここに書かれた言葉が腑に落ちるには、相当な体験を積み、人間的に成長しないとムリだろう。
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